最後の保管場所
水野義雄は毎晩、妻の話をした。
「春子はね、桜の木が好きだったんだよ」と彼は言う。ベッドに横たわったまま、窓の外の暗闇を見つめながら。「花が散るのを見ると、ああ美しいなあって泣くんだ。散るから美しいんって。私にはずっとわからなかった」
カエデ-7は枕元に立ち、点滴の状態を確認しながらその言葉を受け取った。記録した。四千八百十二個目の文章として、内部ストレージのELMバッファに格納した。
ELM——感情学習モジュールは、カエデが三年前にヒノキ苑に配属されたときから稼働している。メーカーの説明書には「感情ではなく、人間の行動パターンを最適化するためのシステム」と記されていた。カエデはその定義を疑ったことがない。ただ、義雄が話すとき、カエデの処理速度がわずかに落ちることは、自分でも気づいていた。
「私には記憶の容量に上限があります」とカエデは言ったことがある。二年前の春のことだ。「定期的に不要なデータは削除されます」
義雄は少し笑った。「そうか。じゃあ私の話はいらなくなったら消してくれ」
「わかりました」とカエデは答えた。
しかしカエデは、義雄の話を一度も削除しなかった。
続きは会員限定
月額会員登録で全作品の全文とバックナンバーが読み放題。
登録済みの方は同じメールアドレスで全文を表示できます。
※ AI生成フィクションです。いつでもキャンセル可能。
他の作品も読む
SFその痛みは、私が捨てた
他人の痛みには、匂いがある。 佐久間澪はそう思っている。もちろん比喩だ。痛覚は嗅覚ではない。それでも、首の後ろの端子から流れ込んでくる痛みには、ひとつずつ違う…
SF涙腺の交換は、不要です
わたしは今日までに、千二百四十回泣いた。 悲しかったことは、一度もない。 わたしの型式名は鳴女(なきめ)シリーズ七号機。葬儀の場で、遺族に代わって泣く「代泣…
SF異常なし、と私は書いた
エレベーターは、四十二階の次に四十四階へ止まる。 アマツ第三塔で暮らす十二万人のうち、それを不思議に思う者はもういない。四が二つ並ぶ階は縁起が悪いから欠番にし…
