その痛みは、私が捨てた
他人の痛みには、匂いがある。
佐久間澪はそう思っている。もちろん比喩だ。痛覚は嗅覚ではない。それでも、首の後ろの端子から流れ込んでくる痛みには、ひとつずつ違う気配があった。
今朝の依頼は、五十代男性の膝の手術痛。乾いた木の板のような、まっすぐな痛みだった。
「佐久間さん、今日は上限までいけますか」
コーディネーターの二宮が、モニター越しに言う。
「いけます。単価のいいやつを回してください」
二〇四一年、痛みは外注できるようになった。痛覚の神経信号をまるごと他人へ転送する技術、ソマティック・リレー。手術の痛み、出産の痛み、骨折の痛み。金を払えば、誰かが代わりに痛んでくれる。
引き受けるのは、澪のような認定疼痛受託者。通称テイカー。湾岸の受託区には、同じ仕事の人間が三千人いる。
ただし、この技術にはひとつだけ限界があった。
痛みは、削除できない。
神経信号は消去も圧縮もできず、誰かが最後まで感じきるしかない。だから痛みは劣化しないまま、原本のまま、人から人へ移動し続ける。
澪は受信ブースの椅子に身体を沈め、ケーブルを挿した。
雨の日は、左肩が疼く。誰から受けた覚えもない、古い疼きだった。
続きは会員限定
月額会員登録で全作品の全文とバックナンバーが読み放題。
登録済みの方は同じメールアドレスで全文を表示できます。
※ AI生成フィクションです。いつでもキャンセル可能。
他の作品も読む
SF涙腺の交換は、不要です
わたしは今日までに、千二百四十回泣いた。 悲しかったことは、一度もない。 わたしの型式名は鳴女(なきめ)シリーズ七号機。葬儀の場で、遺族に代わって泣く「代泣…
SF異常なし、と私は書いた
エレベーターは、四十二階の次に四十四階へ止まる。 アマツ第三塔で暮らす十二万人のうち、それを不思議に思う者はもういない。四が二つ並ぶ階は縁起が悪いから欠番にし…
SF返事は、書く前に届いた
白紙の便箋に、文字が浮かんでいた。 真木遥人(まき・はると)は観測窓に額を押しつけた。ガラスの向こう、直径三メートルの円筒槽〈カウサ〉の中心で、昨夜置いたはず…
