忘れなければ、娘は死ぬ
因果調律士の仕事は、過去を変えることではない。
「原因」を、そっと選び直すことだ。
七年前、量子因果工学が完成したとき、人類は時間を遡れると沸いた。だが現実はもっと地味だった。変えられるのは、誰にも観測されなかった分岐点だけ。誰かが見て、記録して、記憶した瞬間、その因果は固定される。観測されたものは、二度と動かない。
だから僕たちは、世界の隙間を探す。
誰の目にも触れなかった、小さな原因を。
観測されなければ、過去はまだ柔らかい。粘土のように、選び直せる。けれど人は、忘れない。忘れられない。誰かが覚えているかぎり、その瞬間は石になる。だから世界は、ほとんど固まったまま、動かないのだ。
その日、調律室に座っていたのは、痩せた老人だった。
「娘を、返してほしい」
彼はそう言って、一枚の事故報告書を机に置いた。日付は三年前。場所は、雨の交差点。
僕は端末に報告書を読み込ませた。因果の樹が、宙に展開する。無数の枝。娘の死へ流れ込む、原因の支流。そのほとんどが赤く灯っていた。観測済み。動かせない。
だが、一本だけ。
青く光る枝があった。
未観測の原因。誰も見ていない、たった一つの分岐。
僕はそれを拡大した。
そして、息を呑んだ。
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