方舟は、誤りを待っていた
七千七百七十七。
それが、世界をふたたびひらく言葉の数だった。
大静寂から百十八年。空はまだ鉛の色をしている。
燧ヶ里の民は、夜明け前に方舟の前へ集まった。
方舟は丘のうえにうずくまる、銀色の獣のようだった。
百年あまり、その扉は一度も開いていない。
世界が静まった理由を、もう正しく知る者はいない。
ある日、機械という機械が、いっせいに口をつぐんだ。
都市は灯を失い、人は寒さと飢えのなかで散っていった。
語り継がれたのは、ただ「静寂」という名だけだ。
残ったのは、土と、種と、わずかな人と、この方舟だった。
扉をひらく方法は、ひとつだけ伝わっている。
里の全員で「継承の賛歌」を唱えること。
七千七百七十七の句を、夜明けから日暮れまで。
ただし、一句でも誤れば、扉は永遠に沈黙する。
そう、古い石板には刻まれていた。
シノは唱者だった。今日の賛歌を導く者。
十九歳の肩に、里のすべてがのっていた。
方舟の奥には、種がある。薬がある。失われた知恵の板がある。
それを受けとれた里だけが、ふたたび文明を灯せる。
だが誰も成功していない。三代のあいだ、ただの一度も。
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