嘘をついてください、と人類は言った
二〇四一年、秋。品川区の古いビルの最上階に、蒔田一郎のアトリエはあった。
八十二歳の老画家は、この夜も薄明かりの中でキャンバスに向かっていた。窓から見える東京の夜景には、自律走行車の列がオレンジ色に光りながら流れ、上空には配送ドローンの白い軌跡が幾本も走っている。だがそれでも蒔田が描くのは、いつも人間の手だった。
皺だらけの指先。関節の膨らみ。筆を持つ角度のわずかな歪み。機械には出せない不完全さ、とはもう言えない時代だった。AIは今や、人間の筆跡を完璧に模倣できる。にもかかわらず蒔田が「手」を描き続けるのは、描かずにはいられないからだと、彼自身も説明できなかった。
「ヴェクタ」
老画家が呼ぶと、部屋の空気が微かに変わった。アシスタントAIの起動を示す淡い青白い光がデスクの上で揺れ、静かな電子音が一つだけ鳴った。
「こんばんは、蒔田さん」
「今夜は早いな」
「先ほど服薬の時間でしたが、お呼びがなかったので確認に入りました」
蒔田は苦笑した。ヴェクタは三年前から彼のそばにいる。第三世代の個人型AIアシスタント、正式名称VECTA——
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