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雨の降る近未来都市の夜、一秒遅れて知覚される世界に佇む人物と、わずかにずれたその残像。Epoch SF短編小説『世界は一秒、遅れて優しい』の挿絵。
SF時間・タイムループ・因果律

世界は一秒、遅れて優しい

その朝、律(りつ)は、世界が一秒だけ遅れていることを思い出した。

 いや、正確には、忘れていたことを思い出した。人はみな、現実を一秒遅れて見て、聞いて、触れている。それが当たり前で、誰も気づかない。律の仕事は、その一秒を守ることだった。


 同調局・緩衝調律課。律は市民の神経に埋まった「ラグ」を整える技師だ。ラグは現実を一秒だけ遅らせ、その間に世界を少しだけ柔らかくする。尖った物音を丸め、誰かの歪んだ表情を、見られる前にそっと整える。


 「位相欠損、また増えてるぞ」

 同僚の藤(とう)が、モニタを覗いて言った。律自身のラグの数値だった。

 「自分のは、後で直します」

 「早めにな。穴の空いた奴は、二度と戻らないって言うぞ」


 律は曖昧に笑った。その笑みが藤に届くのも、きっかり一秒後だ。

 子どもの頃、母の笑顔が、ほんの一瞬だけ遅れて見えた気がする。律はずっと、それを目の錯覚だと思っていた。


 その日から、欠損は静かに広がった。

 最初に気づいたのは、雨の音だった。整流される前の雨は、こんなにも不揃いで、痛いほど近かった。次は、すれ違う人の顔。緩衝越しなら穏やかなはずの表情が、整えられる前の生(なま)のまま、律の網膜に焼きついた。

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